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体験・取材レポート大崎市

【大崎市】「高給取りの仕事だった?!」松山町で6年間だけ稼働した幻の【人車】について徹底的に調べてきた

この記事は約5分で読めます。

Cオジ(クレイジーオジサン)よっしーです。

みなさんは人車(じんしゃ)というのをご存じですか?

人車というのは下記の画像のようなものです。

人車という字の通り人を乗せる。そして…線路に沿って人が押して移動する。

つまり簡単に言うと普段我々が乗る電車や車は燃料や電力で動いていますが、人車は人類のパワーを全力で発揮することにより稼働が可能というシステムを採用したもの。

そんな人車が実は…大崎市松山で昔稼働してたんですって。(上記写真も松山町で使用されていた人車)

よっしー
よっしー

こんなかっこいいものが地元で使われていたなんて、考えただけでワクワクしません?

ということで今回は、そんな人車について全力調査してきました。

まずは人車のスペックを

長さ182cm

幅121cm

高さ182cm

車輪30.5cm

なるほど。この大きさだと軽ワゴン車の鼻の部分を取ったくらいかな?

名誉なことに松山の人車車両は、大宮にある「鉄道博物館」に展示していて、新幹線の車両と肩を並べているのである。

よっしー
よっしー

新幹線と肩を並べている事実に驚き。人車やるじゃん。

なぜ松山町に人車がやってきたのか?

これを説明するには少し昔の話をする必要があります。

時は明治24年、東京青森間に鉄道(東北本線)が開通しました。

市町村民
市町村民

うおおおお!交通機関がわが町にも!ぬおおお!!

沿線の市町村は当然沸きますよね。もちろん松山町も盛り上がりました。

今でいう村にいきなりイオンやドン・キホーテができるようなもんですよ。


しかし、問題が発生。

それがの配置場所問題。駅は町の中心部近くに置くのが一般的と言われているのだけれども…

なんと松山町は養蚕業や農業に悪影響だという理由で、現在の松山駅の位置に決まった。

となるとなにがおこるか…勘のいいひとならわかるよね?

…………………………
…………………
……………
………

そう!駅から中心部までの距離がめっちゃ遠いのである。

ささキジ
ささキジ

こりゃやっちまったね。せっかく便利で画期的なものがやってくるのに、それを活かしきれないという悲しい課題。

ちなみに当時の役場(役場は町の中心部にあるため)から駅までの道のりと所要時間を調べてみた。

小牛田駅  800m  12分 

田尻駅   400m  6分 

鹿島台駅  600m  10分 

古川駅   1300m  17分

松山町駅  2500m 35分

Cオジよっしー
Cオジよっしー

上記の距離を実際に歩いてみましたが2500mさすがにつらい。

これはさすがにまずいだろうと当時の人も思ったのだろう。様々な改善案が話題に上る。

・人力車…多くの人数をさばけないよな

・馬車は …多額な管理費がかかるよね

これらの問題を解消できる交通機関はないか?

そう!ここで満を持してやってきたのが人車なんだよね。

人車は、人力=人間が押す力によって進むので、馬を飼うのに必要なお金がかからない

さらに一つの車両で 最大16人も運べる。

なぜ人車をチョイス?歴史館学芸員に詳細を聞いてみた

ふるさと歴史館学芸員の伊藤さんにお話を聞いてみた。

Cオジよっしー
Cオジよっしー

どうして人車だったんですかね?

伊藤さん
伊藤さん

経費や定員のこともありますが、幸運なことに、松山町がほぼ平坦な土地だったということも大きいと思います。

なるほど。土地的にも条件が合っていたと。

確かに坂道だらけだったら、人車を押す人がとんでもなくきついですもんね。

人車を押す人は高給取りだった

人車の運行時間朝7時前から夜9時頃まで、1日に15往復ぐらいだったのだそう。

乗車賃は、大人20銭、小人10銭、当時の米1升は20銭と考えると今だと7~800円ぐらい?

車夫(車両を押す人)は月給30円だったとのこと。

※当時教師の初任給が20円。30円はいまだと月給30万ほど。

Cオジよっしー
Cオジよっしー

教師の収入を抜かすのはすごい。車夫は高給取りで当時は花形の職業だったらしい。

奥様
奥様

え?私の旦那ですか?車夫…ですけど?

なんて言ったら

あらま!まーうらやましいわ!!!!

なんて他の奥様方から憧れと嫉妬混じる感情を抱かれてたんだろうなぁ。

と考えると人間の心自体は今も昔も変わらないんだなと感じる。

そんな人車は6年で運行を終了した

そんな人車ですが…

なんとたった6年間で運行を終了し、その後はタクシーやバスなどが人車の後を引き継いだんだそう。

Cオジよっしー
Cオジよっしー

もともと松山町で人車を取り入れた頃には、実は日本の人車の活用はピークを過ぎてたんです。鉄道省でも「将来すみやかに他の動力に切り替えるべし」という条件付きで許可している。

黒字経営にもかかわらずたった6年間で運行が終了したのはそんな訳である。

要するに人車は、中継ぎピッチャーであり、どんなにいい成績でも1イニングで交代することが決まっていたようだ。悲しきさだめよ。

取材を終えて

6年間という短い運行期間、松山町という限られた場所。

今回はとにかく情報が少なくてまとめるのに困難を極めました。

だからこそ短く太く稼働した人車の魅力を自分自身調べる中で感じることができた。

人車についてもっと知りたい方は、「人車物語」「花と歴史の香るまち まつやま訪ね歩き」(いずれも大崎市図書館)をご覧ください。

そんな人車、実は期間限定で今も乗れます

人車運行日は

9月13日(土)・14日(日)・15日(月・祝)・20日(土)・21日(日) 計5日間を予定しています。
・人車運行時間  10:30~14:30
・人車料金    1人 300円(未就学児無料)

ぜひ乗ってみてください!

コスモス園詳細

時間:自由

料金:入園無料 

アクセス:宮城県大崎市松山千石本丸6

※本記事は記事公開(更新)時点での情報です。今後内容に変更が生じる場合もありますのでご了承ください。
※本記事は記事公開(更新)時点での情報です。今後内容に変更が生じる場合もありますのでご了承ください。
この記事を書いた人
Cオジよっしー

Cオジよっしー(クレイジーおじさんよっしー)

地元の歴史探検おじさん。

地元の歴史、人間の素晴らしさを伝えるのが私の天職。

取材はストイックすぎてついついcrazyゾーンへ…。この帽子を見たら気をつけて!

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