どうも。ささキジです。
地元の面白いおっちゃんって響き…いいですよね。

自分が子供の頃なんかは、訛りが激しくてどんなことにも首を突っ込んで説教してくるおっちゃんとかがいた。でも意外と遊び心があって平気でド下ネタ言ってゲラゲラ笑うような人懐っこい素晴らしいおっちゃん。
…時は過ぎ、今ではそんなおっちゃん達は時と場合によっては法律で裁かれる時代になりました。
では面白いおっちゃん達は時代と共に絶滅してしまったのか…?それは否。
時代とともに、おっちゃん達も柔軟に変化しているんです。
前置きが長くなりましたが、今回この記事ではいろいろ情報が多くてすごいおっちゃんを登米市で発見したので紹介していきたいと思います。
今回やってきたのはここ!

のどかな緑あふれる登米市津山町。
こんなのどかなところにおもしろいおっちゃんがいるんです。すごく楽しみ。
そんなおっちゃんがこの方!

川谷清一さん。2012年に大阪から宮城へ移住した方。
どんな方かを簡潔にまとめます
・大阪では高等学校の事務長の仕事をしていた
・震災を機に宮城でボランティア活動を行う
・宮城に移住(知りあいのツテで登米市へ)
・瓦礫撤去や津波で流された写真の修復、仮設住宅訪問を行う
・その経験を通して写真展を開催したり、映画のプロデュースを行う
・現在は公民館で働きながら週に1度ドーナツカフェを営んでいる
なんというかとても濃い人生を歩まれている方。

(つまり!取材する側の俺からするとどこからなにを聞き出せばいいのかわからない。でも絶対すごい人だ。ちゃんと聞き出そう)
すべてを聞いてしまうと文章量がすごいことになり、まるで論文になってしまうのでいろいろかいつまんで紹介させていただきます。
なぜ宮城に?
震災を機に、ボランティアとして宮城を訪れたという川谷さん。

本当に我々のために来てくれてありがとうございました。宮城県に移住するつもりって初めからあったんですか?

移住するつもりは元々なかったです!ボランティアを活動の際に、学校の校舎でデジカメを拾ったんです。そこには津波が起こる3時間前の生徒さんたちの写真が写されていて…この写真を持ち主に返したいと思い、そこから交流が生まれてその後も宮城と大阪を10往復したんですね?
なるほど。

何度も往復するうちに、こっちに住もうかなと。昔北海道旅行をしたときにたまたま知り合った方が登米市の方で、その縁で登米市に移住することになりました。
ここまで話して感じるのは思いの強さ、そしてまっすぐさと偶然の要素がかみ合ったんだなということ。
ここで素朴な疑問が

ボランティアもそうですけど、仕事のツテとか何もない状態で宮城に移住したわけじゃないですか?すごくぶっちゃけた話、お金大丈夫なのかなと思って。
現実的な話をすると、仮にささキジが1.2カ月ボランティアに従事すればたちまち佐々木家の生活がボロボロになってしまう。そこでツテもなく移住となると…もはや日本にいながらのサバイバル状態。

それに関してはまぁ…大阪での勤務が長かったものですから退職金とかね。それと元々お金に執着がないというか、自分にお金を使わない人間なので、お金がないなら無いで生活はできますし。
なるほど。お話を聞いていると川谷さんはお金に執着がないというよりは、「人の気持ちやつながりに価値を置く生き方」に重点を置いているような気がする。

聞くと、毎日お昼にカップラーメンでも全然平気なんです!宮城にやってきてから5年間は宮城の学校で勤めた際の給食を、残りの9年はずっとカップラーメンを食べてますとのこと。

でも最近は健康も考えるようになって、しっかりしたもの食べてますよ

健康は大事ですからね。ちなみにどんなもの食べてるんですか?


カップラーメンだったのを冷凍のパスタにしたりとか…

根本的問題部分が全然変わってねぇwww
お湯かチンかの違いでしかないじゃん。
こんなボケをかましてくれるのも大阪に住んでいた川谷さんのなせる技。こういう話ができるの、好きだなぁ。
宮城にやってきてから14年
・瓦礫撤去や津波で流された写真の修復、仮設住宅訪問を行う
・その経験を通して写真展を開催したり、孤独死・孤立をテーマにした映画のプロデュースを行う
・前職の経験を活かして子どもたちと関わる
・現在は公民館で働きながら週に1度ドーナツカフェを営んでいる

いろいろ経験されましたね。本当に宮城県民のためにありがとうございます。ずっと走り続けているような感じがしますが体調とか大丈夫なんですか?

気持ちの面で体調を崩してしまったときもありますが、基本元気にやっていますよ!ただケガをしやすくて…負けず嫌いであることだったり、のめり込むと周りが見えなくなっちゃいますね。
・小学生と体育の時間一緒に走り、負けたくなくて全力で走った結果【鎖骨を粉砕骨折】
・柔道の試合に出て、全力で戦った結果【肋骨を二本折る】
・DIYに夢中!屋根に上って作業していたら【落ちる】

こりゃあ大変だ。でも個人的に見習わなければいけないなとも思う。
どういうことかというと、大人になるとちょっとカッコつけて力を抜いたりとか、失敗したときを想像して全力でできなかったりするじゃないですか?
川谷さんの話を聞くと、いつでも全力投球。そういう大人って憧れるしかっこいい。

なのでこれからは、できる範囲で無理したいなと思っています。無茶はもうしないけど、できる無理はしたいって意味でね。
無理をしないという選択肢がないのがスゲェ。俺も未来の自分はこういう人でありたい。
そんな川谷さんの信条は【年中夢中】信条に対してまっすぐなのがいいよね。
宮城はどうですか?


宮城にやってきてから14年になりますけど、どうですか宮城は?

みんな温かいですね。自分の好きなことをやらせてもらってるというのもあるけど、友人との語り合いだったり、ボランティアで繋がった縁だったり、楽しく生活させてもらっていますよ。
うんうん

僕って今、ずっこニコニコしてるでしょ?でも大阪にいたときはこんなニコニコしてなかったんですよ。なので大阪の知り合いとかにあうとびっくりされるんです。
顔つきまで変えてしまうってことはそれだけ楽しく生活されてるんだな。なんかうれしい。

ちなみに大阪にいたときの顔つきやってもらってもいいですか?

なるほど。絶対にかかわりたくない。

予想を超えてくる怖さなのやめてほしい。

あ、戻った。安心。
現在は公民館で働きながら週に1度ドーナツカフェを営んでいるということなので、別記事でドーナツカフェについても記事を書いていきたいと思います。
まとめ
今回川谷さんの話を聞いて、人情味のある粋な方だなと思いました。
川谷さんはきっと意識してないと思いますが、かっこつけない大人のかっこよさというのを話していて感じた。
記事の冒頭で、
では面白いおっちゃん達は時代と共に絶滅してしまったのか…?それは否。
時代とともに、おっちゃん達も柔軟に変化しているんです。
ということを書きましたが、まさに川谷さんが柔軟に変化した【かっこよくて面白いおっちゃん】なんじゃないかと思いました。
そんな人たちがいてくれる地元ってのは心強いよね。胸張って自慢していいと思う。
ということで、終わりです。
合わせて読みたい記事
・【登米市】「1個100円?!」こだわりの強さと値段が嚙み合ってない謎のドーナツカフェに潜入-津山ベース

