Cオジ(クレイジーオジサン)よっしーです!
私は宮城県北の歴史や伝統行事についてとことん調べ、実際に体験した記事を書いていきます。今回はは、涌谷町の箟岳山で2025年7月12日に行われた
「採燈大護摩供(さいとうおおごまく)」=別名「火渡り」
の行事です。火渡りをクレイジーに、そして厳かに体験してきました。
火渡りについての詳細は下記の記事でまとめています
早速会場へ
14:30 箟峯寺観音堂到着。
不動明王様をお迎えするための火をつくっています↓

火を預かり、会場となる石仏公園へ出発!やっぱ箟峯寺って山伏の格好がぴったりはまりますね。私も一緒についていきました。

石仏公園までのおよそ1.5kmの道のり…住職のみなさんはの中には、まさかりや弓矢のような儀式に必要な物を携えた方、また、時にはほら貝を吹き鳴らす方もおりました。
そして沿道には、何人かの人が待ち構えていて写真を撮っていました。

石仏公園に着くと、※貫主(かんす)のところに火を移し替えます。
※貫主とは箟峯寺一山に在籍している住職のトップです。背中を向けて帽子をかぶった方がそうです。

四隅に矢を放って、結界を張ります。放たれた矢はもらえるようなので、ちょっとした奪い合いになっていました。
昔やっていた建前の餅撒きを思い出しました。

餅だけじゃなく、お金も撒かれてたりしてお金ばっかり狙ってたなぁ。

貫主から火を分けられいよいよ火入れです。

火入れ 柴の木は一気に燃え上がります。
「柴の木」をネットで検索すると、「山野に生える雑木。焚き付けや垣根に使われる。」となっています。要するに焚き付け用の雑木です。
焚き付け用の木に火をつけて護摩木を燃やす。という意味なんでしょうか。
柴は「さい」と読むので、採燈大護摩供の「採燈」は「柴燈(さいとう)」「柴灯(さいとう)」という風に表記されることがあります。しかし全部同じ意味です。

一気に燃え上がる炎。
この炎に思わず見入ってしまいました。私と一緒に歩いて石仏公園まで来たおじさんは
「俺、この火だけ撮りに来たんだおん」って言ってました。
その気持ち、この炎を見るとなんとなくわかる気がする…。それくらい魅力的に感じます。
実はこのおじさん以外にも、「撮り護摩」とでもいうのでしょうか?
いかにも俺は高いでっせ!と言わんばかりの高級そうなカメラを持った方々が20人ほどいました。

祭壇の木が燃えている間住職さんたちは、歌のようなお経を唱えていました。

火が燃え続けている間に、私は護摩木に願い事を書いてきました。

「ミヤキジ 日本一」

…失敗した。日本一って悪い方の意味でもあるぞ。どうぞいい方の意味で日本一になりますように。ちなみに、護摩木は1本1000円で、後日箟峯寺の御守りが自宅に届きます(20年前はそうでした)。

記事をチェックしたらよっしーがこんなことを書いてやがった。日本一じゃ足りません。自分は宇宙を狙っています。
燃え盛る炎の中に護摩木投入!一本一本念を込めて、5~6本まとめて火に入れていました。

願い事が燃やされるってよくよく考えると不思議だよね!

勢い良く燃える護摩木たち。
いいですねぇ。キャンプファイヤーもそうですがゆらゆらと揺れる炎を見るとなぜか心が落ち着きます。
………ん?あれ?ちょっとまって。そういえばここを歩くんだよね?

この火力…
火渡りするのはさすがにやばいでしょ
足の裏の皮が全部持ってかれるんじゃないの?!
しかし皆さん安心してください。
火を管理する方が何度も何度もやけどしないように安全確認をしてくれていました。
みなさん手慣れたもんで、気づくと裸足になった人が結界の周りを取り囲んでいました。
まず、ご住職のみなさんが渡られ、いよいよ一般客の番です。

一般のみなさんが結界に入る時には、貫主自ら願をかけてくれました。火渡りの直前には、箟峯寺御供物をもらって火を渡りました。
御供物は…梅入り純金茶‼なぜに!?

この御供物のおかげかどうかは分かりませんが、足をやけどすることもなく無事渡り切れました。
火渡りを体験してみて
火入れしてから火渡りまで約2時間、さまざまな儀式はあったものの、ほとんどの人は祭壇の火をずっと見続けているだけだった。
それは…無駄な時間?…暇な時間?私は逆にとても大切な時間に思えた。
なんか人間って火を見るのが好きなのかも…こういう時間の使い方も時には必要なのかもしれない。
火渡りを振り返ると…

この火渡りは20年ぐらい前に、実は私は経験済みである(だから余裕)。

まぁなんていうか…みんな頑張れよ
と上から目線で火渡りする人たちを見ていた。経験者だからこそのイキった感情。
しかし自分の番になり貫主の念を受けると、空気が変わり、一気に緊張してきた。
貫主がこんなに念を送るということは、これからえらいところに行くんだ…。
結界内は、神の領域なので
- トレードマークの帽子もダメ!
- 渡っている様子の動画撮影なんて持ってのほか!
最後にたくさんの住職に励まされ、三途の川でも渡るような気持ちになり、不安の絶頂へ
渡っている間は、超集中というか”無”だったような気がする。
渡り終えたら、感謝の気持ちから自然と正面の祭壇に手を合わせられた。
もしかしてこれが火渡りの本質…破壊と再生。
自分の心の中の邪心を破壊し、新しい自分を再生する。
自分でも気づかぬうちにできてた。
神事は本当に奥が深い…いい経験ができた。
これからも宮城県北にあるさまざまな行事やイベントにクレイジーに体験して極めていきたいと思います。